カメラを持って、何かを撮るときってのは、何かに心が動かされているのだと思う。
撮らなくてもよかったのだけど、撮ってしまったがために、また出会う景色がある。きっと、もう二度と出会えないだろうあの日の空も、写真が時を止めてしまっている。感覚としてあるのは、むせるような草のにおいと、ぼんやりとした思考の底だ。時間は決して均一に流れていないと思う。時には逆流すらするんだな。愚鈍な感覚はすべての重要性を失い、自分の位置すらあやふやにする。絶対的な時間軸を意識し始めたとき、しっかりと死を感じることができる。それ故に生きるという行為が最大の善意に違いないと思えるのだな。


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