年明けに外山滋比古の「思考の整理学」「「読み」の整理学」を続けて読んだ。その中に「内田百けん(うまく表示されないのでひらがなで表記した)」という人のことがちょっと書いてあった。ちょうどタイミングのいいことに筑摩書房から「ちくま日本文学」というシリーズが配本中で、その第一巻が内田百けんなのだ。恥ずかしながらおれは内田百けんという人のことを全く知らない。もちろん、名前くらいは見たことがあったが、その人の本を読んでみようと思ったことは一度もなかった。
今日本屋に行き、ちくま文庫の所に行った。ちくま日本文学が本棚に並んでいた。内田百けんの目次を見ると、「花火」「山東京伝(さんとうきょうでん)」「件(くだん)」「流木」・・・とあった。中には「薬喰い」「泥棒三昧」「素人掏摸(しろうとすり)」「特別阿房(あほう)列車」なんていう魅力的な題目があり、おもしろそうだった。とりあえず、内田百けんの巻だけ買ってみた。

内田百けん (ちくま日本文学 1)

内田百けん (ちくま日本文学 1)

ところで、最近は勉強することが特に楽しいと思うようになってきた。タバコをやめたことと関係があるのかわからないが、考えるということに対して粘り強くなってきたように思う。特に外山滋比古の「思考の整理学」を読んでから考える、思考するということに対して意識的になった。
これまでもそれなりにいろいろ勉強はしてきたが、考えるということに対してそれほど自覚がなかったように思う。
受験時代はいかに効率よく多くの問題をこなすかということに精一杯だった。おれは塾とかに通ったことがないので、勉強法などに関してはそれなりの持論を持ってやっていた。勉強もそれなりに意識的にやってはいたが、考えるということに大してはやはり無頓着だったように思う。
未知のことを知るということは言う程簡単なことではない。それは使命感などでどうこうなるものではないからだ。心の底から知りたいと思う好奇心やおもしろいと感じる興味がなければ未知を知ることはできないだろう。好奇心や興味の伴わないお勉強では未知を知ることなどは不可能だ。そう言い切ってもいいと思う。
上を見ればきりがない。歴史的な偉人に並ぼうと思わなくてもいい。
大切なのは「よく考える」ことだ。よくあの人は頭がいいとか、いい大学を出ているとか、すごい学歴だとか耳にする。そんな馬鹿げた価値観でしか人を判断できないのは悲しいことだ。大切なのは常に未知に対してチャレンジしているかどうかではないだろうか。例えば、微分積分でも、改めて勉強し直すと今までと違った面が見えてくる。関数の曲線がシャキーンと心に響く瞬間は非常にエキサイティングだ。
未知のことを知るというのは、何も学問だけではない。何をするにしても学ぶ姿勢があれば何かを知ることができる。何かを知ろうとしている人は謙虚だ。そういう姿勢で生きていけるということが賞賛に値すると思うのだ。
偉そうなことを書いたが、自分がそれを実践できているかどうかは別問題で、上に書いたのはあくまでも理想論だ。
物事に対して謙虚で、好奇心を忘れずに、常に未知のことにチャレンジするという姿勢を忘れないようにしたいものである。