鹿児島から帰ってきた。
同窓会はおもしろかった。23年ぶりに会う友達も数人居たな。みんなが元気で今までそれぞれの人生を歩いてきたんだなということを思い、胸が熱くなった。自分は口べただし、それほどフレンドリーなタイプでもないので、自分から積極的にアレコレしゃべれなかった。終わってから、あの人にこういうことを話していればよかったとか、こう言えば良かったと思うんだな。なんでそうなるかの原因は何となくわかっている部分もあるのだが、なおらない。というか、むしろそれがある為に積極的になれないとも言えるのだ。
でもまぁ、昔の仲間というのはいいもので、腹の底から笑えた。
36歳という節目の年を迎え、精神的にリフレッシュできた気がした。
同窓会に行く前にちょっと時間があったので、1、2時間写真を撮りながら散歩をしようと思ったのだが、小雨が降っていてほとんど撮れなかった。傘をさして歩くという発想が完全に欠落していた。
写真は近所の様子。
この辺は銀行やパチンコ屋もあった一帯だ。右奥は橋になっていて、そのたもとには貸本屋もあった。向かって左側はすぐ海だ。自分が鹿児島に居た頃は活気があったのだが、今は人がほとんど居ない。写っているのは商店と八百屋、魚屋が入っていた長屋だ。小学生の頃はこの橋を渡り、この前を毎日通っていた。歴史的にはかなり栄えていた場所でかつては相当にぎわった地域らしい。自分がガキの頃まではその名残がないこともなかったが、今は見る影もない。栄枯盛衰という言葉がぴったりだ。そういうものだというあきらめはついているが、今でも実家に帰り、こういう様子を見ると胸の奥がしんみりする。
どれだけの学歴があって、科学だ、技術だなんて粋がってみても、自分のルーツはこの土地にある。
自分の生まれた土地は愛している。これが自分の本質に結びついている。
決して格好をつけて、偉そうなことを言ったりするわけじゃない。こういう景色が身にしみているからこそ、思うこともある。
いろんなことを学び、賢く生きていかなくてはならないのだ。
同窓会のとき「なんであんたはあれほどまでに成績にこだわっていたのか」と聞かれた。
「いやぁ、誰にも負けたくなかったんだよ」と言っておいたが、ほんとはちょっと違う。
中学時代、勉強の合間に外に耳を傾けるとかすかに潮騒の音が聞こえてきた。空には星が輝いている。そういう大自然を感じ、自分の小ささを実感していた。この先にはきっとどでかい光り輝く何かがあるに違いないと信じて疑っていなかった。何にもない土地で生まれ育ったので、まだ見ぬどでかい何かを見てみたかった。知らないから怖かった。でも、きっとそのどでかい何かを自分のものにすることができると思っていた。
そしていつもつぶやいていた言葉がある。
「おれがやらなくて誰がやる」
自分に対して精一杯の強がりだ。
一方ではきっと何かを変えられると信じていた。
それがおれの原動力だった。きっと今も本質的には同じことなんだと思う。
平たく言えば、それは大いなるコンプレックスだ。
遠回りをしてきたと思う。その為に失ったものもいっぱいあると思う。
でも、それも全部含めて今のおれである。後悔はしていないし、振り返りもしない。
これからも光り輝く何かを求めて、この道を歩き続けなければならないのだから。

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