蹴りたい背中 綿矢りさ

斎藤孝の「上機嫌の作法」に綿矢りさの「蹴りたい背中」が取り上げられていた。先日の出張帰りに広島駅にある古本屋を覗いてみたら、ハードカバーの蹴りたい背中が315円で売っていたので買ってみた。昨日、今日で読んでみた。
ものすごく感動するとかそういうタイプの物語ではないが、妙にわかってしまう表現がたくさんあった。そういえば10年20年くらい前はおれも同じような光景を見たり、同じような経験で同じようなことを感じていたなぁと。ただ、主題であるところの背中を蹴りたい気持ちが完全に理解できたかどうかはわからない。
自分はいたずらが好きだったり、結構意地悪なことを言ってしまうことがある。自分ではよく意識できていなかったのだが、どうやらそういうことらしいことを、三十数年生きて行く中で気がつきだした。なんでわざわざ嫌がることをしてしまったり、言ってしまったりするんだろうと悩むこともある。いろいろ考えた結果、それはおそらく、他人との距離を測ろうとしているのではないかという結論にたどり着いた。どのくらいの悪さまでなら許してくれるんだろうと試しているんだと思う。小学生がスカートめくりするようなものなんだろう。
小さな頃、物を舐めたくてしょうがない時期があった。そこにある物がどんな味がするのか気になって気になってしょうがなかったのだ。なんで舐めたくなるんだろうと子供ながらにほんとに悩んでいた気がする。それもきっと物と自分の距離を測る手段だったんだと思う。
この小説の蹴りたい気持ちってのもそういうことなのだろうか。
もしかしたら似ているかもしれないもしくはいとおしいと類似の感情を抱く他人の感触を確かめるために蹴りたいのかなぁ。そういうことならば、わからないではない。

蹴りたい背中

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