写真を撮るという事

人の写真を見ていると、時々いいなぁと思うことがある。被写体の物珍しさではなく、切り取り方に感心する場合が多い。なぜこれをこう切り取れるのだろうと。
自分の写真を振り返ると、作為的なのがむしろ稚拙で、あぁ・・と思う場合がほとんどだ。ここに写真を載せることはあるが、決して満足して載せているわけではない。むしろ歩いてきたしるしとしてここに足跡を残しているような感じだ。それはそれで悪い事ではないと思うのだが。
カメラを持って通り過ぎるとき、いつも気になるポイントというのが何カ所かある。ふと、足が止まるのだ。で、何枚か撮ってみるのだが、いつもしっくりこない。なんでこの姿が気になってしまうのか、多分、自分がよくわかっていないのだろう。それが下の4枚目の写真。マンションの裏と表のシンメトリー(裏と表なのでホントのシンメトリーではなく、崩れたシンメトリーだ)がおもしろいのかもしれない。ちなみに、文学的(?)な意味はない。自分の場合、単に形とか質感が目にとまる場合が多い。撮影する時は、反射的な運動に近い。後で写真を見ながら、感情がわき上がることがないわけではないが。
また、時の流れとともに意味を持つ写真というのもあるように思う。それはデフォルメされた切り取り方ではなく、単に記録として正確な写真が望ましい。見たものを記録する事が自分にとっては意味のある行動の一つなのである。
切り取り方のおもしろさ、形のおもしろさ、質感のおもしろさ、そして記録としての写真。芸術品じゃない写真も立派な写真だと思うのだ。



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