ぽんハウスの「共感を求めるという物がピンと来ない…。」というエントリーを読んで、いろんなことを思った。
自分の場合、目に見えるものすべては主観的なものだと思っている。主観があるからこその他だと思うのだ。
主観ってのは非常に曖昧だ。例えば、脇道からいつもの道路に出たとき、そこがどこだか認識できなくて、一瞬の後に「あぁ、ここか」なんて思うことがどきどきあるのに似ている。
そういう曖昧な他を求める主観が出会いお互いを認めあう瞬間、自分が今そこにあることを認識する。そこには必ずしも同調は必要ない。
自分もなれ合いがきらいなので、いわゆる集団行動が苦手だ。よくもないのに「いいですね」なんて「いわなければならないことになっている」のが耐えられないのだ。

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