ハローハロー

1984年のヒット曲で日清カップラーメンのCMソングとして有名な曲。というか、中学の頃の自分にとってはどちらかというとカップラーメンの歌って認識だった。
それからだいぶ時間が経ってからある詩集を何気なくめくっていて、この歌詞を文字として認識した。「そうかこの銀色夏生って人が書いた詩だったんだな」。改めて文字として認識してみると、ほろ苦い青春の一ページって感じでいい詩だなぁと思ったのを覚えている。
オリジナルに近い動画は埋込みが禁止されてるようだ。
こんなカバーがあるのは知らなかったな。

この時代はちょうど自分が思春期だったせいもあると思うんだけど、好きな感じの曲が多い。
男と女に限らず、人はみんなひとりひとりだ。孤立した存在が宇宙にぽっかりと浮かんでいるようなものだ。どんなに離れていようが、近くにいようが、宇宙的な距離が縮まることはない。だからこそ人は互いに認識しあおうとする。ハローハローでもいいし、ネリリしたりキルルしたりしてもいいんだろう。まず、人と人は宇宙的に孤独であることを認識することから、すべてが始まり、そして生きることに誠実である限り、それは永遠だ。

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自分が写真を撮るのはそういう人々や世界との距離感を測るためなんじゃないかと思う。今ここに自分がいて、目の前にある宇宙との距離をカメラを通して測っているのだ。なのでカメラなんてなんでもいいし、極論すれば写真すら撮る必要はない。ただ、人の記憶はあまりにもいい加減であいまいで忘れやすいので、それを補うためにシャッターを押している。それでも時が経つと、写真はリアリティを失い、ただのイメージに過ぎないように思えてくるなぁ。
下の写真は全部昔のコンパクトデジカメで撮影したものだ。撮影地は一枚目が鹿児島で、二枚目が京都、大阪あたり(失業中に野宿しながら茨城から鹿児島に向かう旅の途中で撮影)、三枚目、四枚目は広島。




世界中のすべてのものを愛せるだけの大きな人間になりたいものだ。

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