博士号を取ろう!

博士号を取ろう! | ニュース | 楠見研究室 京都大学 物質-細胞統合システム拠点(アイセムス) 楠見グループ 京都大学 再生医科学研究所ナノバイオプロセス研究領域
自分も恥ずかしながら博士の端くれだ。紆余曲折あり、今は地方の中小企業で開発業務をしている。
自分は学歴や資格などはアテにならないと思っているのだが、自らを省みて、博士を取ってどうだったかを振り返ってみると、プラス面のほうが多いと感じることが多い。
まず、実質的な面でいうと、実験や研究を進めていく基本的な手法を学ぶことができたというのが大きい。学士でも優秀な人はいて、実務などをそつなくこなせる人は多いが、研究をさせると的を外す人は少なくない。実験の組み立て方とか、考え方の基本が不十分なのだ。なので、最終的には自分ひとりでは実験を進めることができなくなってしまったりする。そのくらいできるだろうと放置してしまってつぶしてしまったことがあり、反省している。
学士と修士の差はそれほどないと思うが、修士と博士では背負うものの大きさがぜんぜん違う。20代後半の貴重な時間に身を削りながら、先の見えない研究生活に全身全霊をかける覚悟をするのは中途半端な気持ちじゃ無理なのだ。博士を持っていない人とは一線を画すものがあると明らかに感じる。学位審査を受けるときの緊張感は今まで生きてきた30年ほどの人生をすべてかけるような気持ちであり、一生味わいたくないほど切羽詰ったものだった。背負うものが人それぞれ違うので、すべてのケースに当てはまるわけではないだろうが、本気度がぜんぜん違った。
会社に就職して思ったのは、アカデミック以外にも博士が結構いるということだ。もちろん、高卒、学士、修士でも自分より能力のある人は数多いだろう。しかし、ある一定場に登ると、博士という肩書きがモノを言わずに説得力を持つことがあるということは少なからず感じる。いろんなレベルの博士がいるのだろうが、それでもなんというか、同士的なものがあるのではないだろうか。また、博士を持っているということは、仕事をすすめる上での信頼感を獲得しやすい。当然、不義理なことをしてはダメなのだが、博士ということで一定の実力というか、研究遂行能力を認められる場合が多いと感じる。実際、自分に任せてくれればある一程度までは案件を遂行する粘り強さと自信はある。
自分も(理工系なら)チャンスがあるなら博士まで取得した方がいいと思う。そして、アカデミックにいくもよし、教育者になるもよし、民間企業に行くもよし。はたまた、中小企業に行くもよし。こじんまりとした考え方は捨てて、博士を取って、自由に羽ばたこう!
博士を取得して地方の中小で一旗上げてやろうじゃん!!

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