単純な脳、複雑な「私」

先日購入した本「進化しすぎた脳」がおもしろかったので、その続編「単純な脳、複雑な「私」」を買ってきた。

脳というのは身体を制御したり、物事を考えたりする部分、自分が自分である根源みたいな部分であることはなんとなくわかっているような気もするのだが、現在、科学的にわかっている脳の姿と、自分の解釈の間には結構違いがあるもんだなということがわかった。特におもしろかったのは、脳が体を制御しているのではなく、体が脳の在り方を決めているという見方だった。どういうことかは本を読んで確かめてもらいたい。

巻末に、行列式を使った簡単なモデルで脳をシミュレーションする方法が書いてあるが、これが結構目から鱗というか、おもしろかった。そこで、コンピューターが進化すれば人工知能ができるのだろうかということを考えてみたのだが、その答えは、自分的にはノー。脳だけに、ノー、というわけではないが、ノーだと思う。脳のようなプログラムはもしかしたら書けるかもしれないけれど、脳は体が一体であって初めて脳であり得ると思うからだ。つまり、人間はなにかをアウトプットしながら、常に体全体から何らかの刺激がインプットされていて、そのフィードバックがアウトプットを微妙に左右していると思う。言い換えれば、人間の体のような(姿、形もおそらく人間の範疇でなければいけない)入力装置を備えた人型コンピューターができるなら、鉄腕アトムのような人工物が作れたら、もしかしたら、人間らしいコンピューター(ロボット)ができるのかもしれない。ただ、自分はロボットであると気が付きつつ、人間らしさを保つことができるかどうかはわからない。

さて、今度の本はどんなおもしろいことを考えさせてくれるかな。

 

 

単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス)

単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス)

 

 

 

進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)

進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)

 

 

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