眼精疲労と知的生産の技術

季節の変わり目のせいか、ここ1週間程目の疲労がつらい。ひどい夜には目が疲れ過ぎて気持ち悪くなるくらいだ。目薬でちょっとはまぎれるのだが、根本的によくなる感じがない。週末は身体を休め、眼精疲労に効くビタミン剤を飲んだ。ビタミン剤が効いたようで、今日はずいぶん楽だ。
この眼精疲労のせいでここ数日は自宅でパソコンをするのもつらく、本をよく読んでいた。まぁ、本も目が疲れると言えば目が疲れるのだが、テレビとかパソコンより幾分ましなのだ。
昨日、知的生産の技術を買って読んだ。以前から時々気になっていたのだが、いざとなるとすっかり忘れて手にする機会を逸していた本だ。
まだ100ページくらいしか読んでいないが、共感できるポイントがたくさんあった。この本は書かれたのがかなり昔なので、方法論には幾分古くささがあるが、その根本には学ぶところが多い。この本をハウツーものと思いながら読むと著者の言いたいことがうまく伝わらないと思う。方法自体にはさほど意味はない。これは考え、実践することの大切さを説いているのだ。100円ノートメモ術や野口悠紀雄超整理法斎藤孝の3色ボールペン、外山滋比古の思考の整理学などの根本原理は知的生産の技術そのものではないだろうかと思った。内容の先見性に著者の達観を見た気がした。


実はこの考える方法には自分もかなり興味がある。勉強はやればいいというわけではなく、ある程度のレベルを目指すとすると、その方法論が大切になってくる。自分で疑問を感じ、それを考える習慣が身に付かなければいくらお勉強しても知的発達は期待できないだろう。
塾や予備校に通ったことはないのだが、実は中学のときに一度だけ2週間程の講習に通ったことはある。塾と呼ばれるところがどんなところなのか一度見てみたかったのだ。鹿児島市内に住む姉のところに間借りして、鹿児島では有名な塾に2週間程通うことにした。飛び込みなので配属されたのは普通クラスみたいなところだったと思う。初日に力試しのテストがあった。詳しい順位は覚えていないが、数学は一番だったことを覚えている。もうその時点で半分くらい塾に対する興味は失っていたが、最後まで通った。最後まで通って感じたのは、塾ってのは通えばテストの点数は上がるだろうけど、おもしろくもなんともないところだということだった。塾ってところはテストに出るような重要なポイントをいきなり教えてくれるのだ。そこには過程とか発見し解決するよろこびなんてのはほとんどなかった。そんな塾だけじゃないのだろうが、少なくとも自分は塾というものに意味を見いだせなかった。なんかおもしろいところをことごとく持って行かれるような気がしたのだ。
その後も勉強法の模索をしながら勉強を続けた。だいぶ無駄なことをしてきたと思うし、もう少し賢く効率的に勉強してたらもっと違う道があったのかもしれないと思う。でも、遠回りをしたからこそ得たことも多かったのではないかと思えるようになってきた。
この知的生産の技術を読んで、その印象を強めた。


知的生産の技術を身につけたいと思うならば一度は読んでおいても損はないと思う。

知的生産の技術 (岩波新書)

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