GXRの考え方

What Digital CameraのRicoh GXR: ‘world’s smallest interchangeable lens compact’という記事の3ページ目を読んでいたのだが、その時、ふとGXRの意味が自分なりになんとなくわかってきた。
レンズと撮像素子、画像エンジンなどをユニット構造にして、それを付け替えるという変わったスタイルのデジタルカメラの立場というか意図が今一つピンと来てなかった。
たとえば、撮像素子は交換できるのだろうかとか、将来性能のよい撮像素子が出てきたらレンズそのものが陳腐化するのではないかとか。でも、その答えはリコーのウェブサイトで発表時に見ていた。

レンズと撮像素子が持っている本来の性能を活かすためには、それらをユニット化するのが理想的といえます。たとえば、撮像素子の表面を覆っているローパスフィルター。このフィルターは偽色や色モアレを防ぐ一方、効果を高めるほどレンズの分解能が犠牲になるというジレンマがありました。これまでのレンズ交換式カメラシステムでは、すべてのレンズに単一のローパスフィルターで対応するため、効果の過不足が避けられません。
それに対してGXRでは、レンズの分解能に最適化した、専用フィルターを設計することが可能です。これにより、しっかり偽色を防ぎつつ、解像力への影響を抑えることに成功しています。
〜〜リコーウェブサイトより

つまり、高画質な写真を記録するためには撮像素子とレンズは一対一でしか組み合わすのが最適ということだ。これまでのように単一の撮像素子にさまざまなレンズを組み合わせる方法では本当の高画質は得られないということなのだろう。
つまり、新しい撮像素子が開発されれば、それに合わせたレンズを組み合わせるのがベストということだ。だから、レンズの撮像素子を交換することはこの思想に反する場合が多い可能性がある。となると、ネットで噂になっている4/3マウントユニットなどというのは、根本的な思想が崩れるため、あり得ないのではないかと思う。そういうユニットは便利であるし、ある意味理想的だが(場合によっては今後の主流になるかも??)、リコーがこの流れでそれをしたらちょっと違うような気がする。引用した思想が足かせにならなければいいが。
いずれにせよ、そのような思想が根底にあるとすれば、ユニット方式は割と素直に理解ができる。
汎用性やコストの面からすべてのカメラがそのようになるのが理想的とは思わないが、そういう思想のカメラがあっても変ではないような気がしてきたというわけだ。

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