夕学五十講

仕事を終えてから夕学五十講に参加してきた。今日の講師は詩人の谷川俊太郎さんと覚和歌子さんだった。谷川俊太郎のシンプルな詩が好きで、この講座だけは受講しようとだいぶ前から決めていた。
対談と詩の朗読を織り交ぜた講座で、疲れていたにも関わらず全く眠くなることがなかった。さすが、言葉の達人の話はおもしろいなと思った。
最初から最後まで発見の連続で、印象的な言葉が盛りだくさんだったように思う。心に残ったのは現代の人はわからないことを不安に思うため、すぐに答えを知りたがる傾向があるということだ。考え、感じ、味わう。わからないことの豊かさを知っておきたいという考え方はすばらしいことだと思った。すなわちそれはアナログ的な行為だという。ただ、言葉そのものはデジタルな存在であるから、言葉に迷わされないようにしなくてはならないということだ。詩というものは言葉で伝わらない「思い」の周りにある言葉の集合のようなものであり、その言葉を通じて、その核心にある思いを感じ取って欲しいということであった。よく詩の意味やメッセージを求められるが、そういうメッセージで伝えたいことが表現できるならメッセージそのもので伝えますという言葉が、詩という表現の本質を表しているなと思った。また、詩とは表現ではなく声の記録であるとも言っていたな。
最近、色んな人の言葉を聞いて、共通して共感できるのは、本質というのはシンプルな形をしているということだ。現代は過剰な情報があふれており、あらゆるものに多様な意味を付加しているように思うのだ。本当に大切なものはそんなに複雑な顔をしていない。曇ったレンズ越しだとリンゴがリンゴではないなにかに見えたりすることもあるだろう。それと同じように曇った心ではものごとの真実の姿は見えないに違いない。もっとあるがままに力を抜いて生きていきたいものだ。
また、これは余談だが、最近は努力という行為には実質的な効果がほとんどないのではないかと考えている。ここまで言い切ってしまうとちょっと語弊もあるのだが、感覚的にはそんな感じだ。どういうことかというと、例えば、毎日計算問題を100問こなすという目標を立てるとする。それ自体は立派な行為だ。問題はここからだ。100問こなすこと自体に努力するのではなく、どうやったら計算問題を100問こなすことが楽しくなるかと考えるのだ。つまり、努力することそのものよりも、モチベーションを保てるように興味をコントロールすることに意識を向けた方がよい。結局、楽しくないことは継続できないし、継続できたとしても身に付かない。身に付いたとしても、楽しくないことができる能力がついてもあまりうれしくないのではないだろうか。最近、自分はそういう考え方で行動していることが多い。
最後に、一番うれしい言葉はどういう言葉かという質問に谷川さんが答えた言葉。「好きな人から好きといわれることはいくつになってもうれしいですよ」

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