もう10年以上状態の悪い歯がある。なおらないと言われてからだいぶ経つが、未だにしっかりとある。でも最近は調子が悪くなる頻度が高くなってきた。1、2週間前に病院に行ったばかりだが、一昨日くらいからまた調子が悪く、昨日今日は気を抜くとあごのあたりが引きつれるように痛かった。
夕方、用事で広島駅のそばにいった。その帰り、歯医者が目に入った。6時半まで診察。時計を見ると6時。歯医者に駆け込んだ。
非常に感じの良い歯医者だった。


最終的には今週歯を抜くことを決断した。正直、この痛みから解放されるなら今すぐにでも抜いてもいいと、数年前から思っていたのだ。最近の悪くなる頻度からして、もう潮時だと思っていた。神経や血管まで悪い場所が広がって面倒なことになる前に歯を捨てて治療に専念することを決断した。


この痛みに連鎖した記憶は少なくない。
痛みは痛んではじめて痛みとして存在する。しかし、痛んでいない部分もちょっとしたきっかけですぐに痛みだすに違いない。身体は全て痛みを内在した存在だ。痛いということは生きていることを強制的に自覚させる。生きることは痛むことであるとも言えるかもしれない。人間は生まれた時から様々な痛みを経て、最終的に全ての痛みを失う存在と言えるのではないだろうか。
そしてその痛みを一つ失うというわけだ。それが生きるということだと思えば、あきらめもつく。

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