一枚目はF30のカラー写真をモノクロ化、レタッチしたもので、二枚目はTri-Xをスキャンしたものを素材にパソコンでレタッチしたもの。
きっと、レタッチ次第ではどっちも似たような感じにはできるんだろうけど、Tri-Xのこのカリッとした感じは素材の時から内包されているもののような気がする。
今は環境的にアナログなモノクロをやるのは難しい。
そうなればデジタルで自分の思ったような感じを出すしかない。でも、パソコンでコチョコチョといちいちいじるのもめんどくさい気がする。第一パソコンでコチョコチョいじるのはどーもおもしろくない。汗だくになりながら暗室で印画紙を現像液に入れ、モワモワッと写真が浮かび上がる時のようなモノとしての艶かしさと、ちゃんと絵が出るかなーというスリルがない。
写真はどこか忘れ去られたかのようなモノ。モノというのは人が作り出し、人が使うモノのことを言っている。作った人の喜び、売る人の喜び、手に入れた人の喜び、そんな喜びが過去のものとなり、ただのモノとしてただそこにあるモノ。そんなモノに出会うと、そのモノがたどってきた歴史の中で関わった人はどんな人なのかなーとか考えてしまう。今はただのモノに成り下がってしまったモノだが、その昔は人に笑顔を与えていたに違いない。そんな人の単純な笑顔や、それを誇りに思うモノの輝かしい姿が微笑ましい。それは今は過去のことになってしまったが、そんな過去の栄光を思い出すかのようにモノの写真を撮る。どんなモノにも、輝かしい瞬間が必ず存在したはずだ。おつかれさま、がんばってと言いたい気持ち。

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