テゲテゲ

最近、メタボリックって言葉に毎日どこかで遭遇するような気がする。
健康面だけを考えれば、20代、30代でちょっと太っていたからといって健康を害することはほとんどない。体重が多いことは悪だという短絡的な価値観から、過剰な小食を敢行したり、過剰な運動を毎日のように行うことは、メタボリックと同程度には病的な状態だということを忘れてはいけない。お昼の健康番組で杜仲茶がいいと聞けば杜仲茶を買いあさり、コレステロールが身体に悪いと聞けば油物を毒物と同等に扱う。食事はエサではないのだ。食べるという行為は本能であるが、食べ物は文化である。食べる行為をwantからmustにしてしまったら、コレステロールを毒と思う価値観と同等もしくはそれ以上の毒になり得る。
また、ウォーキングが健康にいいと聞けば、雨の日も風の日も河原を歩きまくる。こういう人たちは健康のためなら死んでもいい人たちだと思う。別にそれらの行為を全て否定するつもりもないし、自分だって似たようなことはやってきた。また、週に3、4日は身体に軽く負担をかける程度の運動をすることは健康を維持することに役に立つと言われている。
何を言いたいかというと、物事には程よい加減っていうものが存在するってことだ。例えば、食ってもその分運動すればいいのだというのは最もな正論だ。でも、自分がいつまでも健康に動き回れるという保証はどこにもない。もしそうなってしまったら、その人は体型を維持するために食べることをあきらめなくてはならないと思い、非常に大きなストレスを感じるだろう。もしくは、そうなっても完璧な体型を維持することに固執するだろうか。過剰はパワーのように錯覚するが、破綻したときに崩れ去りやすい。自分は人に過剰な部分を感じるとき、それと同じマイナスをこの人は持っているんだろうなと思ってしまう。自分を振り返ってみてもそれはアタリなのだ。過剰に饒舌になったり、悪態を吐くときってのは、自信のなさとか保身とかそういうマイナスの思考があるように思う。
程よく食って程よく運動し、程よく暴飲暴食し、程よくダラダラするのが人間的で自然だと思うのだ。心の状態に適度な遊びを持たせておけば、一つや二つ失うものがあっても、何とか対処して行けそうな気がする。
世の中には太ってるやつも居れば痩せているやつも居る。筋肉質もいれば、虚弱体質も居る。分布なんてのはだいたいは平均を中心としたガウス分布になっている場合が多いのだ。多少外れたやつがいて当然なのだ。それは自然なことなのだ。集団が単分散であるのは多様性の欠如である。そういう世界は間違いなくおもしろくない。多様性に対する寛容さのなさというのは、思考回路が動脈硬化を起こしている状態だ。
沖縄や鹿児島辺りでよく聞く言葉に「テゲテゲ」というのがある。漢字で書くと大概大概となる。大阪人の「ぼちぼちでんなぁ」にニュアンスは近いのかな。このテゲテゲって言葉は自分の口癖で、親から「テストはできたか?」と聞かれれば、「テゲテゲ」としか答えたことがないし、「仕事はうまく行っているか?」と聞かれれば、「テゲテゲ」と未だに答えている。親からしてみれば「がんばってるよ大丈夫!」という言葉を聞きたいのだろう。でもおれはそうは答えない。テゲテゲってのは++の状態でもなく、--の状態でもない。ニュアンス的に言えばゼロにちょっと+を添えた感じだ。
テゲテゲってのは他人の心を大きく揺り動かさない。その代わり、過剰なマイナスも予感させないいい言葉だとおれは思っている。テゲテゲと発言することで、相手を少しだけがっかりさせることが自分の精神的なプレッシャーを緩和する役割もあるように思うのだ。
志は高く、態度はテゲテゲに。剛毅木訥が理想かな。

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